こんばんは!内勤のロールです。
我らがコンカフェグループも拠点は”秋葉原”!
たびたび秋葉原は”オタクの街” ”家電の街” ”パソコンの街”など
時代や、人によって認識が違いますがこの辺りがイメージかと思います。
今の街になるまでは歴史があるものです。
それは、秋葉原に限らずどこの地域でもです。
秋葉原に今回は焦点当てて簡単?に優しく?説明させていただきます!
何かの文献を読んだわけではなくネットで漁った内容ではありますので自己責任でお願いします!!
はい!時代には転換点あるもので、それが”戦争”となります。
東京大空襲(1942-1945)で秋葉原も焼け野原になってしまいます。
ここから秋葉原近くの神田に電機工業専門学校(現:東京電機大学)や工学系の学校の学生向けに真空管、ラジオの部品を販売する露店が数多く立ち並んでいました。
その当時、空襲によりラジオのメーカー工場もラジオの出荷ができなく数少ない娯楽の1つであったラジオを技術を持った人がパーツから組み立てることができたため神田には専門性の高い露店が増えていきました。
そこから少したち1949年(昭和24年)にGHQ(連合国軍最高司令部)
さんが、街の区画整備や、道路の工事のため
『露店撤廃令』を出し
神田の露店も立ち退きを余儀なくされました。
しかし、多くの人が露店で生計を立ててたため生活の危機に直面したわけです。
そこで当時の露店商たちがGHQさんに直談判をし交渉のすえ、
代わりの露店をできるスペースを代わりにもらえます。
それが、たまたま当時空いていた秋葉原駅の高架下スペースだったようです。
簡単に説明するはずが、、上記の説明がないと秋葉原の歴史の
土台が消えてしまうのでご容赦ください!泣
つづき!
そんな、
時代の流れの中で秋葉原にラジオの部品を中心とした専門性の高い露店を中心に電気街となっていきます。
1950年代になると徐々に大手メーカーが再建していきます。
ここで秋葉原の流れが、
『一般的向け家電の販売』と『今まで通り専門性の高い部品の販売』
大きく2つに分かれていき、のちに一般向け家電を販売する店舗が表通りで牽引していった結果(1960年代)〜『家電の街』となります。
今でも、秋葉原は大きな家電デパートが立ち並んでますからね。
なんとなく、家電買いに行くのにわざわざ秋葉原に行く人も多いんじゃないでしょうか?
そんなこんなで、高度成長期を迎え表通りでは、一般向けに家電は普及していく中、裏通では”専門性の高いお店”マニアック文化として残っていきました。
オタク魂!ここに!!
そんな1973年(昭和48年)にオイルショックが起こります。
それが要因で家電の売り上げが減少し始めた頃
裏通りではパソコンが売れ始めました。
当時のパソコンは操作性が難しく、マウスもないマニアックなものでした。
流行に流されず、マニアックな部品、パソコンを売るお店と
そんなマニアックなパソコンを買いにくるお客さんとが
長い関係性を続けていった結果”パソコンの売れる街”にになります。
更に1990年代にはバブル崩壊をきっかけに
表通りの家電量販店が閉店と入れ替わるように大型パソコン専門店が
オープンしパソコンが秋葉原の顔になりました。
”パソコンの街”秋葉原の時代です。
ついにここまできたー!ラストー!
このパソコンこそが今の秋葉原のオタク文化の火付けになった
アニメ、美少女、ゲームに繋がってるわけです。
はい!!これが秋葉原のオタク文化です!
もう文字数が、、また次回ブログで!